ボキューズ・ドール日本代表
長谷川 幸太郎
はせがわ こうたろう |
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中学卒業後、専門学校を出て(武蔵野調理師専門学校)、
16歳で東京ベイ・シェラトンホテルに入り、パティシエを4年間。
その後、同ホテル、メインダイニング・レストラン ザ・サミットにて勤務。
休みを利用して、恵比寿 カーエム・銀座レカンで各1年間スタージュし、街場のレストランを勉強する。
26歳で渡仏
ボーヌの1ツ星 ジャルダン・デ・ランパール
レ・ボード プロヴァンスの2ッ星 ウストー・ド・ボーマニエール
ヴァンスの2ッ星 ジャック・マクシマン
リュネヴィル 1ッ星 シャトー・ダドメニール
ラ・ロッシェル 2つ星 リシャール・クータンソー
モンペリエ 3ッ星 ジャルダン・デ・サンス
計3年半
2002年帰国 サンス・エ・サヴール副料理長(オープンと同時に帰国)
2003年より 同レストラン 料理長に就任
ボキューズ・ドール日本代表となった長谷川シェフにお話を伺いました。
「ボキューズ・ドールに興味を持ったのは、2001年・2003年大会を見て興味を抱きました。ちょうどフランスで働いている時です。
キュイジニエがブースの中でヒーローのように動き回り、注目を浴びていて、やっぱりフランスだなぁーと感じた時でした。
日本では、料理コンクールがそこまでのものでは無いと感じており、ただコックと言う職業を、「もっと高い位置で見てもらいたい」、と感じておりました。
小さい頃から人より上回るものは無かった自分だけに、今、人から頑張ってるねとか、凄いね!と言われる事に嬉しさを覚えています。
世界で一番に成れれば、皆が自分の店を注目してくれ、お客様がフランス料理に興味を持ってくれるに違いない!そう感じ取りました。
もう一つは、フランスで働いている時に感じた事ですが、日本とフランスの技術の差は無いと感じました。
それは、日本の今を作ったフランス料理会の先輩達が、今とは違った時代に命を懸けてフランスで頑張って来たからだと実感しました。
情報通信も無く、今とは違い、飛行機代も高額でしたし、しかも日本人は戦争を引きずっている小さな人種だと思われていた、と聞いた事があります。
行けばなんとかなる、慣れれば大丈夫、などと驕った日本人が多い現在を寂しく感じておりました。
そんな、先輩たちの頑張りに負けず、自分は絶対に認めてもらいたいと、誰よりも強く感じていました。
今は、フランス本国も、ユーロと共に自国の殻を打ち破り、世界の良い所を多く吸収しようとしていると感じます。
抹茶しかり、椎茸、えのき、わかめ、寒天、海苔、醤油、寿司、、、、。
現在は、日本の食材も沢山使われています。
しかし、彼らは使い方を間違っている。と思います。
そこで、あくまでもフランス料理であり、ベースはエスコフィエ、レペルトワール、ラ・ルースであり、そこに日本の食材を入れた、フランス料理を今回作りたいと感じています。
フュージョンと言う言葉が使われていますが、僕はそれはフランス料理で無いと思います。 あくまでも、ベースはクラッシックであり、表現が現代風であり、根本はフランス・
ガストロノミックの料理だと思っております。
時代は進化するもの。フランス料理もまた、進化しなければならない。
今、その時代に来ていると感じております。
フランス人にフランス料理を教えるなんて事は恐れ多くも言えませんが、
今、フランス人と協力し合い、新たなページを刻む時代なのかも知れません。
それが、今の日本のフランス料理会を作って来た先輩達を敬い、恩返しをする時のように感じます。
Bcuse d'Orを取ってからですが、決して、温故知新は忘れません!」
熱い思いでボキューズ・ドール本選を目指す長谷川シェフを、皆で応援しましょう!
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